復興事業新図録

陸前高田高台盛土事業

市中心部の平野部を中心に、広範囲が壊滅的な浸水被害を受けた陸前高田市。その惨状を目にして市民が望んだのは、「津波による浸水被害の心配がない暮らし」。高台に移転すべく、大規模なかさ上げが行われました。

震災当時の状況

陸前高田市は東日本大震災で、最大18m超の津波により中心市街地がほぼ壊滅、死者・行方不明者1,700人超(関連死含む)という甚大な被害を受けました。国の名勝に指定されていた高田松原の7万本の松林は1本を残して流失し、津波による被災世帯数は、市のおよそ8,000世帯の半数以上にも達し、津波被害を受けた世帯はほとんど全壊しました。公共施設も市庁舎はじめ、中央公民館、図書館など大きな被害が多数でました。避難所に指定されていた陸前高田市立体育館にも約15.8mの津波が押し寄せ、避難していた約100人のほとんどが犠牲になりました。

甚大な被害を受けた高田松原周辺
奇跡の一本松
上部工が流出した気仙大橋

安心して暮らすために大規模なかさ上げを実施

これらの被害から、陸前高田では災害に負けない安全なまちづくりを目指して、大規模なかさ上げと高台への集団移転が行われました。2011年12月に策定された「陸前高田市震災復興計画」では、「誰もが安全と安心を実感できる多重防災型のまちづくり」を基本的考え方とし、「いのちを守るまちづくり」を実現するために、津波への対策として「多重防御」の考え方を取り入れています。

その対策には、高さ8~10mの市街地のかさ上げ、避難路の整備、低地に一時的に水を溜める「遊水地」の確保、市街地をコンパクトに整えることが含まれており、施設(ハード)と計画・運用(ソフト)の両面から重層的に支えています。

高田地区と今泉地区が土地区画整理事業の対象となり、まち全体を支えるような大規模なかさ上げが行われました。約10mの盛土のために約1,200㎥という膨大な土が必要となり、それを確保するために今泉地区にある標高130mの山を標高50mまで掘り下げる、大規模な掘削が行われました。

今泉地区からかさ上げ部への土の運搬イメージ図

工期を大幅に短縮した「希望のかけ橋」

その大量の土を高田地区に運ぶには、途中にある気仙川を渡る必要があったため、通常のダンプに代わって、全長約3km、ベルト幅1.8m、1日あたり最大2万㎥の土を運べる大規模なベルトコンベヤが導入されました。この設備の導入により、10tダンプなら約8年半かかると見られていた作業が、準備期間を含めてわずか約2年半で終了しました。運ばれた土の総量はおよそ1,000万㎥、10tダンプで200万台以上にのぼりました。

そのベルトコンベヤが通るために架けられた専用の吊り橋は、市内の小学生から名前を募集し、「希望のかけ橋」と名付けられました。復興の象徴として親しまれ、見学に訪れる観光客も多くいましたが、役割を終え撤去されました。現在は土台部分が「復興遺構」として、高田松原津波復興祈念公園の気仙川沿いに残されています。

ベルトコンベヤ「希望のかけ橋」