10mを超える大津波で甚大な被害を被った野蒜地区。いちはやく高台への移転に着手し、市と地域住民がまちづくりについて話し合いながら、様々な工夫により迅速に工事を進め、新しい町並みを誕生させました。
震災当時の状況
2005年4月に矢本町と鳴瀬町の合併で発足した東松島市は、市制施行当初から「災害に強いまちづくり」を重点施策に取り組んでいました。しかし東日本大震災では震度6強を記録し、想定をはるかに上回る巨大津波の直撃を受けました。それによる死者・行方不明者は、当時の全市民の約3%にあたる1,133人(死亡1,110人、行方不明23人)にものぼりました。津波が到来した市街地の浸水域は約65%にも達し、これは全国の被災地の中でも最も高い割合でした。また、農地や漁港をはじめとする産業施設や社会基盤施設も壊滅的な被害を受けました。
中でも野蒜地区は海岸部に近接した平坦な土地で、10mを超える津波により人的にも建物にも著しい被害を受けました。東名運河以北は、東名運河と北側丘陵地の間に細長く広がる平坦な市街地で、大半の家屋が滅失しており、人的被害も著しい地域となりました。避難所になっていた野蒜小学校にも津波が到達し、避難していた住民が犠牲になりました。JR仙石線・旧野蒜駅も津波で大きな被害を受け、そのプラットホームと駅舎は震災遺構として保存されています。
市民の意見も取り入れた迅速な高台移転の決定
野蒜地区の移転先として候補に上がった野蒜北部丘陵地区は、特別名勝「松島」のエリア内にあったことから、景観や緑地保全への配慮が求められるエリアでしたが、ヘリコプターで上空から被災した野蒜地区を視察した当時の市長は、あまりの惨状を目の当たりにし、迅速な復旧には「野蒜の山を切るしかない」と考えました。
野蒜地区は震災前から市民協働のまちづくりを行っていた地区で、震災直後から今後のまちづくりについて地域住民自らも検討を進めていました。市も地域住民の意向に沿うべく、共にまちづくりに取り組みました。持続性のあるまちづくりを目指し、公共公益施設の配置や、駅などの利便性にも配慮して欲しいなどの話し合いを繰り返し行い、高台への移転も、元々の地域ごとにまとまって移転し、コミュニティを早期に再生できるよう進めました。
震災からわずか3ヶ月後の2011年6月に示した「東松島市震災復興基本方針」で野蒜北部の高台移転を明記し、国の支援を待たずに市独自の予算で高台エリアの土地を確保しました。2014年4月に高台団地の設計が始まり、JR仙石線と2つの駅、市民センター、小学校、郵便局、スーパー、病院などと共に移転することになりました。
1日でも早く新しい暮らしを始められるまちを
野蒜北部丘陵団地の造成に伴う切土量は約560万㎥におよび、その量は東京ドーム約5杯分に相当しました。その半分は丘陵地の谷底の埋め戻しに活用し、残りは団地外の復旧工事現場へと搬出することになりました。その切土を10tダンプで運ぶと、約40ヶ月(3年4ヶ月)もの期間が必要になるため、ベルトコンベアによる切土の搬出を実施しました。丘陵地から海岸部の復旧工事現場まで、1.2kmに渡って幅1.8mのベルトコンベアを設置したことにより、搬出期間は約40ヶ月から約10ヶ月と、4分の1に短縮することができました。
また、丘陵地の固い岩は通常の7倍ほど大規模なリッパーで砕き、砕いた岩を通常の6倍の大きさのショベルでダンプに入れ、そのダンプも通常の5倍の50tダンプで搬出するなど、施工のスピードアップを図りました。さらに掘削する土砂を減らす工夫として、当初決めていた団地標高を20mから22mに変更しました。
通常の工事では工事毎・段階ごとに発注手続きが必要ですが、2012年10月に都市機構(UR)と東松島市が協定を結び、URが自治体に代わって、設計から施工まで一括して企業に請け負わせる方法(CM方式)を導入しました。その結果、通常の工事に比べて1年近くも早く工事に着手することができ、早期の宅地引き渡しが実現しました。
現在では震災の復興団地とは思えないほど、ほとんどの区画に住宅が建てられ、しょうしゃな新しい町並みが誕生しました。
震災の記憶を伝えるボックスカルバート
特別名勝「松島」の景観などに配慮した工夫は、工事の様々な面で行われました。中でも眺望の美しさを守る工夫として、ベルトコンベア本体や破砕設備の塗装をダークブラウン系に統一しました。さらに、ベルトコンベアの搬送路としてJR仙石線をアンダーパスしていたボックスカルバートを活用し、野蒜地区内外を結ぶ連絡通路として、今後の津波発生時の避難通路として再整備しました。
「大型重機やベルトコンベアの活用」「造成の高さの変更による切土量の削減」そして「新たな発注方式」の3つの工夫によって工期は大幅に短縮され、2016年11月にすべての宅地の引き渡しが完了し、野蒜北部丘陵地区は高台移転の成功例として評価されています。
