政宗公の時代から治水工事が行われ、その舟運で栄えた旧北上川と名取川河口。震災で大きな被害を受けましたが、水辺空間を活かしたまちづくりが、新たなにぎわいを創出しています。

震災当時の状況
旧北上川河口(石巻市)
東日本大震災の津波は、北上川を河口から約50km上流まで遡上しました。河口部にある石巻市においても、沿岸部・沿川部は津波の直撃を受け、多数の一般住家が流出したほか、海抜0メートルの市中心部の市役所周辺も数日にわたり浸水し、都市機能が麻痺するなど、無堤防の旧北上川河口では大きな被害が発生しました。
川にかかる橋にはたくさんの車や瓦礫が乗り上げ、中瀬にある石ノ森萬画館では1階が6.5mまで浸水。1階の展示物は流失しましたが、この建物に流れついたり避難してきた人たちは、建物の3階で5日間の避難生活を送りました。また向かい側にあった旧石巻ハリストス正教会教会堂も大破しましたが、2018年10月に復元されました。
名取川河口(名取市閖上)
江戸時代以前から港町として栄えた閖上(ゆりあげ)と、農業地域だった下増田は、大津波により一瞬にしてまちが消滅しました。大震災前は沿岸部に多くの住宅が建ち、旧閖上町付近には2,000世帯以上、約5,700人が住んでいました。しかし大津波に襲われ、住民の約1割にも及ぶ約750人が犠牲になりました。
東日本大震災で壊滅的な打撃を受け、中止されていた閖上地区の「ゆりあげ港朝市」は、震災から約2週間後の3月27日、同市内のショッピングモールの駐車場で再開されました。「一刻も早く市場を開き、復興ののろしを」と、散り散りになっていた市場関係者が奔走し、開催にこぎ着けました。
旧北上川河口部に、地域活性化にもなる堤防を
「水を制する者は国を制す」―中国の故事に由来し、戦国時代の武将・武田信玄は、暴れ川を治め、新田開発することで富国を目指しました。伊達藩でもまた、初代藩主・伊達政宗が、北上川から石巻港に至る運河の水路整備と、北上川の水害防止のための河川改修を、川村孫兵衛重吉に命じました。水流が安定したことで仙台平野北部の新田開発は急速に進み、石巻は江戸に送る米の集積地となり、川港として発展しました。
江戸時代に米蔵が立ち並んでいた石巻市街地の川縁は、水際まで土地利用がなされていたため、堤防が建設されることはありませんでした。東日本大震災の津波により、川沿いの家屋は甚大な被害に見舞われました。これをきっかけに堤防を建設するか否かの議論が市民の間でも交わされ、約140回以上の説明会を経て堤防計画が合意に至りました。ただ「防災」のためだけに河川堤防を整備するのではなく、「地域活性化」にも活かせる空間を目指し、築堤が進められることになりました。
石巻の歴史に連なる、市民の憩いの場となる水辺空間の創出
堤防整備と合わせて「市民の集いの場」、「憩いの場となる水辺空間」の整備を図ることを目的として、地元の意見を大切にした事業づくりが行われました。旧北上川の歴史や文化を踏まえ、現在も残る石積み護岸や、“かわど”と呼ばれる親水施設を大切にし、整備イメージを検討しました。また子どもたちの意見もまちづくりに反映させるため、「堤防でやってみたいこと、欲しいもの」をテーマにワークショップを開催しました。
さらに、かつての賑わいを失ってしまった日本の水辺の新しい活用の可能性を創造する、官民一体の協働プロジェクト“ミズベリング”を実施し、水辺空間利用の可能性を把握するために“ミズベリング石巻”を立ち上げたり、石巻市が立案した、堤防と一体的にプロムナード(散策道)を整備した「水辺の緑のプロムナード計画」とも連携して、水辺事業を推進しました。
堤防の整備により、旧北上川河口部の津波・高潮・洪水に対しての安全性は向上しました。また、観光、商業、交流機能の充実を目指した「川辺エリア」は、石巻市の川と街を結びつける賑わいの拠点、水辺空間としての憩いの場となり、多くの市民や観光客に利用されています。治水で石巻の街を救った川村孫兵衛に対する、報恩感謝の祭りとして始まった「石巻川開き祭り」など、様々なイベントも開催され、街に新たなにぎわいをもたらしています。
閖上地区に新たなまちを整備し、にぎわいを取り戻す
名取市閖上地区は、江戸時代から仙台藩直轄港を有し、名取川や、当時松島湾から阿武隈川を結んでいた貞山運河を使って、木材や水産品、農産物を運搬する重要な水運の町として栄えていました。名取市は、市全体の3分の2が平坦な土地で、津波による大きな被害を受けた閖上・下増田地区も2~3m程度の標高しかなく、閖上の日和山以外小高い丘もない地形でした。その閖上地区には8m以上の津波が押し寄せました。
閖上地区では2013年11月に、「被災市街地復興土地区画整備事業」と「防災集団移転促進事業」の併用により、新たなまちを整備することになりました。名取川右岸に接する閖上地区は主に居住区域とし、商業施設や学校、公民館、道路・公園などを配置し、その際57haのうちの30haを5mかさ上げしました。その左側に隣接する閖上東地区は非居住地域とし、防災ステーション、ゆりあげ港朝市、水産加工団地、トレイルセンター、震災メモリアル公園などを配置しています。
かわまちづくり事業でにぎわいの再生を
閖上地区は古くから水運、漁師の町として栄えた歴史的背景もあるため、国土交通省が進めている「かわまちづくり計画」の一部区域を、閖上地区のまちなか再生計画の対象としました。河川堤防と同じ高さに整備した側帯上に、被災事業者が中心となって設立したまちづくり会社が、商業施設「かわまちてらす閖上」を建設・運営し、地域の賑わいの拠点となっています。
商業施設とともに、貞山運河を利用した舟運事業、河川防災ステーションや震災復興伝承館の整備も実施し、インスタグラム等のSNSを活用しながら官民連携で賑わいの創出・防災性の向上に取り組んでいます。これらの取り組みにより居住人口も増加しており、社会実験中の舟運事業が定着すれば、新たな観光事業のひとつになると期待されています。かわまちてらす閖上だけでなく、周辺施設とも連携し、閖上地域全体を魅力あるものにすべく、様々な取り組みが行われています。
