復興事業新図録

仙台東部道路・三陸沿岸道路(矢本石巻道路)

津波警報が出ても、近くに高い建物がなかったらどこに逃げればいいのでしょうか。東日本大震災当時、高さ7~10mの高速道路に駆け上がって助かった人が数多くいました。その教訓が、その後のまちづくりに活かされています。

震災当時の状況

仙台市宮城野区荒井地区に押し寄せる津波
仙台東部道路への避難状況(仙台港北IC付近)

仙台東部道路は、亘理IC~仙台港北IC間の延長24.8kmの自動車専用道路。東北自動車道及び仙台北部道路、仙台南部道路と一体となって、仙台都市圏における自動車専用道路による環状ネットワークを形成している高規格幹線道路です。

一方、矢本石巻道路は、東松島市川下(鳴瀬奥松島IC)を起点とし、石巻市桃生町太田(桃生豊里IC)に至る延長26.5kmの自動車専用道路です。東日本大震災当時は2車線でしたが、現在は4車線化され、無料開放されています。

仙台市を含む宮城県の中南部は低平地が広がっているため、東日本大震災では海岸から約4km内陸まで津波が到達し、仙台市沿岸部の荒浜地区には10mに達する津波が襲いかかりました。仙台湾に面する、仙台市や名取市、東松島市の矢本地区や石巻港などの平野部には、津波に備える高台となる避難場所がありませんでした。そんな中で、仙台市沿岸部を南北に貫く仙台東部道路は高盛土構造で建設されていたため、迫りくる津波から逃れるために、多くの住民が道路の法面を駆け上がりました。そのおかげで、仙台若林JCTと名取ICの間に避難した約230人の住民の命が救われました。

また、仙台東部道路・矢本石巻道路が共に防潮堤の役割を果たし、市街地への津波や瓦礫の流入をある程度防いだため、道路を挟んだ左右では震災被害に大きな差が生じました。

被災直後の仙台東部道路(仙台若林JCT~名取IC間)

高速道路が防潮堤の機能を発揮

仙台東部道路や三陸沿岸道路の矢本石巻道路は、高さ7~10mの盛土構造が特徴の高速道路です。震災により海岸部に近い平野部では、高盛土構造体の道路は防潮堤の機能を有することが図らずも証明されました。仮に仙台東部道路や矢本石巻道路が整備されていなかったら、津波被害はより甚大なものになっていたかもしれません。

また大津波により国道45号線が浸水し、通行が困難になりましたが、並走する仙台東部道路や矢本石巻道路が緊急輸送路としての機能を発揮しました。

水没した国道45号(多賀城市)
仙台東部道路が内陸の市街地への津波・がれきの流入を抑制

津波襲来時の避難場所としても活用

約50人の住民が仙台東部道路に避難した、仙台市若林区郷六地区では、震災前の2009年に津波対策連絡会を設け、道路を避難所にするよう求める、全国でも例のない要望活動を展開していました。東日本大震災の大津波によって、こちらも高盛土構造体の道路が避難場所として活用できることが証明されました。

あの日、多くの住民が高速道路の法面を這い上がって避難したため、震災後には集落の近くにあるそれらの高速道路の盛土の斜面には数多くの避難階段と、路肩部に手すりのついた避難スペースが整備されました。

中野五丁目津波避難タワー(仙台市宮城野区)
避難階段(矢本石巻道路)

さらに、この仙台東部道路によって、市街地への津波やがれきの流入が抑制されたことから、盛土構造の公共施設が有する津波低減効果が注目され、新たな津波対策として「多重防御」が提唱されました。これは「一線堤として機能する防潮堤の背後に、かさ上げした道路や鉄道、防災緑地等の減災機能を有した施設を配置することにより、居住地を多重に防御する」という、東日本大震災以前にはなかった津波に対する「減災」の考え方です。その経験が震災後の、より強靭な地域づくりに活かされています。

津波警報が出たら高台へ―。高台がない場所でも、津波避難ビルやタワー、そして盛土構造になっている道路にも避難場所としての設備が整い、私たちの命を救ってくれます。

被災地の復興を推進する復興道路として

震災後の三陸沿岸道路は、復興関係の車両で交通量が大幅に増加し、特に工事用の大型車両が多くを占めました。その影響で走行速度が低下するなど、走行環境が悪化しました。そのため、円滑な交通を確保し復興を推進するため4車線化の事業が行われ、宮城県内区間ではすでに多くの区間で4車線化が完了しています。

また、震災当時国道45号線寸断により、復興道路として設置された三陸沿岸道路のルートは、津波浸水域を95%回避し、残りの5%は高さのある橋梁(気仙沼湾横断橋など)で通過するようになっており、災害時でも通行が可能なように建設されています。

4車線化された三陸沿岸道路
気仙沼湾横断橋